R.I.P.

requiescat in pace.

すべてはここから始まった

滝沢歌舞伎ZERO FINAL 大千穐楽を終えて、いま自分が思うことの覚書。


2021年、イープラだらけでチケットが御園座しかなかった😯

ブログ書くかー!て思ったらもう2018に書いてたんだね

h0ney-me13.hatenablog.com

自分で自分の過去記事を読むほど恥ずかしいこともないんですが、この記事の中で、タッキーはZEROより前の滝沢歌舞伎滝沢歌舞伎の第一幕、と表現してた*1
ということは、昨日で、滝沢歌舞伎の第二幕が終わって、滝沢歌舞伎、というものが本当に終わったんだなあ…って気がつきました。

終わってみるとあっけないもので、自分にとっての2023年4月本当に夢みたいだったな、の一言です。
見たかった、やってほしかった、と思うことをSnow Manってまあまあ叶えてくれる方だと思ってたんだけど、ここまで叶えてもらえると、どうしていいかわからない、というのが素直な気持ち。

いにしえも、春の踊りも、五条大橋も、歌舞伎のオムニバスも、全部全部それは大切な思い出の1ページで、それを大切に本当に大切にやろうとしてくれてるのがずっと伝わってきて、胸が痛いくらい伝わってきて、あまりの想いに初見で見た時に苦しくなったくらいw
滝沢歌舞伎ZERO FINALは、Snow Manからタッキーへの手紙、だったのかもしれないなあ。
2013年に渡辺くんが手紙を書いてきてから9年、言葉にしなくてもこんなにも滝沢くんへの想いが伝わる作品を自分たちだけで作れるようになったんだな、あのどうしようもない、ってずっと言われてた子達が色んな荒波を超えて、ここまで来たんだなーって。
2014年の滝沢歌舞伎千穐楽で、滝沢くんがSnow Manに書いてきた手紙の冒頭で、
「この子達手が掛かるなあ、気持ちが伝わるかなあ、大丈夫かなぁ」って思った話から始まるけど、気持ちが伝わるかなあ、て思っていた子たちがこんなにも気持ちが伝わっていて、理解していたんだよ、ということを本人に見てもらえなかった事が少し残念。

昨日の千穐楽で、もう要所要所で後少しでもなんかスイッチがあったら泣く、みたいな状態に入ってしまっていた深澤くんですが、やばそうなポイントの組曲〜花鳥風月も乗り越えて、五条大橋…はまあほぼアウトでw*2
何回も何回も唇をギュッと噛み締めて、泣くのを我慢する表情をしていて、我慢しなくていいんだよ、もう泣いても怒る人もいないし!wって思っていて、そしたらWITH LOVEで、振りを飛ばすくらい目をぎゅっと閉じて泣き出してしまって。
WITH LOVEなんてもう何年も何年もやってるわけだから、振りなんか早々飛ばすもんでもないのにそれが飛ぶくらい耐えれなかったんだろうなあ、その耐えれなくなった瞬間、脳裏に浮かんだ思い出たちは、6人の頃の思い出も、それより前の思い出も、9人の思い出も、沢山あると思うけど、誰よりも滝沢くんに愛されていた深澤くんだから、その事がたくさん浮かんだのかなあ?って思ったりしましたよ、わからないけどね。

カテコの挨拶でも、淡々と喋り出したから、もう意外と平気なのかな〜大人だな〜て思ってたら、「Snow Manを支えてくださっているみんなの愛が伝わる」て言った後にもう泣き出して言葉に詰まってしまい、あー、支えてくれた、で思い出しちゃったのかなあ、と思ったら「滝沢歌舞伎が大好きです」って言った後、「盆栽をもらったのもそこ(すっぽん)ですし、Snow Man大きくなれよって言われたのもそこ(最下手の今回忍者が化粧の時に立ってるところ)ですし、滝沢歌舞伎に携わってくれてるみなさんが本当に大好きです」って泣きながら、滝沢くんとの大切な思い出を、なんの説明もせずに*3ばーーっと話し始めて、これが本心なんだなあと。

深澤くんのファンをしていて、今でこそ何を考えてるのか、何がしたいのか、何を思ってるのか、だいたいわかるけどまだわかんないこともたくさんあるけど、それこそ2013年とか2014年は何も分からなかったから、今こうして、本心を素直に言えるようになってくれて、言えるような環境に深澤くんがいてくれる事が何よりも嬉しいかな

ボロボロに泣いちゃう深澤くんのことをこーじが肩持ってくれたり、ひーが腰のあたりぽんぽんしてくれて、なんだか泣けちゃったな。
2014年の手紙のときは、滝沢くんからの手紙のひーへのパートの「大丈夫!君にはSnow Manもいるし、俺もいるよ、そしてみんながいる」のところでひーがもうしゃがんじゃうんじゃ、てくらい泣いて、それと一緒にボロボロになりながら2人で支え合って泣いていて、ああ、そこからこんなに、大きく、なったんだな。って…

今までの自分の2013年からの想いが、何回も観劇するうちに毎回違う感情になっていって、最終的には、歌舞伎オムニバスの氷〜蜘蛛男までずーっと泣いているというやばい人になってしまったんだけど、このオムニバスの何が泣けるって、滝沢くんがやっていたものを、Snow Manが1人づつやる、というところで、みんながみんな滝沢くんで、という、今流行りのみんなが主役形式みたいなもんなんだけどw、それぞれがそれぞれの思う滝沢くんがやってた歌舞伎、を一生懸命演じて、そこに自分のらしさ、も入れてたのかなあ、と思うとそれだけで泣けてしまうんですよね…

それでいうと、滝沢歌舞伎ZERO FINALの深澤くんまじで一生滝沢くんのコピーだったなあw
仇討ちの殺陣なんかもうほぼ滝沢くんの殺陣コピーだし、五条大橋の羽衣のあげ方も、あげる時の表情も、間も、何もかもが滝沢くんの義経、だったし、傘パフォーマンスでセンターに立つ時も、本当に滝沢くんにしか見えなかった。贔屓目とかではなく、立ち姿、姿形の話…
勿論私は、ZEROになる前の歌舞伎に深澤くんを見に行ってるから、そんなに滝沢くんのことを見ていたわけでも何でもないけど、でも流石に全く見てないわけではないから、初見の日にちょっとあまりの"それ"にゾッとしてしまったところもある。
そんなに大きい存在だった恩人とも呼べるような人と、急に離れて、自分たちの手で滝沢歌舞伎の幕を下ろさなければいけない、ってどんな重圧だったんだろう、考えれば考えるだけ計り知れない重さで気が遠くなる。
Labo.ツアーのオーラスで、滝沢歌舞伎ZERO FINALが発表された時、深澤くんはいつものあのクソ真面目な顔で「演出も全部俺たちがやるんで」って言って、あーこれはすごくプレッシャーに感じている!なあ!て思ったけど、そのプレッシャーの中でこんなに素晴らしい滝沢歌舞伎のラストを締め括ってくれたことは、ずっと応援してきたファンとしてファン冥利に尽きるよ〜

なんかもうデビューしてから、ずっとずっとこんなに幸せにしてもらっていいんだろうか!と思うことばかりで、びっくりする。
昔からファンをしてるのは自分の勝手だし、誰かに認めてもらいたいわけでもなんでもないけど節目節目に大切に、同じ思い出を同じページ*4を共有してるんだな、と思える事が本当に幸せでありがたくて、こんなに好きで、こんなに想いが通じる人たちにもうそんなに簡単に出会えることなんてないんだろうなと本当に本当に思います。

Snow Manができた滝沢歌舞伎。9人になった滝沢歌舞伎滝沢歌舞伎がなかったら昨日のステージの上にいた9人中何人が今日もステージの上に立ち続けてくれていたんだろう?
滝沢歌舞伎がなかったら私は深澤くんのファンを10年も続けられてたのかな?
そもそも滝沢歌舞伎がなかったら、いまの私っていないんじゃないかな?
そんな、もしも、を沢山この1ヶ月考えたけど、渡辺くんの言う通り私にとっても滝沢歌舞伎は青春だったよ。

青春すぎて、自分の人生の第一章が終わってしまった感じ!
第二章も深澤くんのファンであることは絶対揺るぎのない事実だけど、昨日までで、私のひとつの区切りになったのかな。

昨日千穐楽が始まる前に座席について、ふと思い出したのが、渡辺担の友達から2013年の演舞城の初日にももらった「ふっか、三郎だよ!!!」の連絡のことでした。
深澤くんの三郎を見て、この人を応援していこう、って決めたんだったなあ、そんなことをそのタイミングでふと思い出してしまい、新橋演舞場には数え切れないくらいの思い出が詰まってて、簡単に言葉になんかできないくらいの気持ちがファン側にもあるよ〜

来年から滝沢歌舞伎のない春を迎えられるのか全く想像もつきませんが、来年の春になってやっと無くなったんだな、と実感できるのかもしれないね。

Snow Manが自分たちで、滝沢歌舞伎の幕を下ろせたこと、もしかしたらこれは叶わなかった事かもしれないこと、色んな巡り合わせに感謝です。

大好きな2013年滝沢演舞城、二幕の冒頭の義経のセリフに「三郎、おまえのおかげで辛い旅も楽しく過ごせた。」というのがあるのですが、いまだにこれを思い出すたびにパブロフの犬みたいに泣いてしまうのですが、滝沢歌舞伎のおかげで、ジャニーズJr.のファンという不確かで辛い時があることも、楽しく過ごす事が出来た、と思う。

滝沢歌舞伎は私にとっての何事にも変え難い大切な大切な財産です。
本当に18年間、こちらこそありがとうございました。

またいつか、どこかで出会える日まで🌸

*1:2018の円盤に入っています

*2:でも爆泣きじゃないからセーフ

*3:まじでほんとに相当昔のことを学習してるオタクじゃないと何もわからない

*4:阿部くんがみんなの思い出の1ページに滝沢歌舞伎があればみたいに言ってくれて嬉しかった