R.I.P.

requiescat in pace.

人ごみの中でも星を見る 今日の光景は果てしない未来へと

深澤辰哉さん、32歳のお誕生日おめでとうございます
さんじゅう…に…て…おま……

誕生日エントリを書こうとして、下書きをうっすらしてて、タイトルは「あの日の少年」から引っ張るぞ!って思ってたのに、5/1にA.B.C-Zのサブスクが解禁されてしまって、このタイトルになりました(アクロバティックなタイトルの決め方)

そうです、King & Princeさんの「なにもの」の歌詞

人ごみの中でも星を見る 今日の光景は果てしない未来へと

をタイトルにしました。なんで?ってなりますよね。
Snow Manは、日生劇場A.B.C-Zのバックに着くことが無茶苦茶多かったんですが、日生劇場って、舞台の奥の方がとにかく暗いんです。ほんと。
なんでこんなに暗い?ってくらい暗い(韻を踏むな)
当時(2013〜2014)は、今みたいに良い双眼鏡が主流でもなかったし、本当に限界アルバイト学生過ぎて良い双眼鏡なんて買えなくて、暗闇の中の、沢山いるJr.の中の深澤くんを見るのに必死で。
でも、そんな暗がりでも、有象無象の中にいても、パッと、一番星みたいに自分の目に入ってくるんです。
ピントが合って、そこに焦点が定まる感じ。
深澤くんのことを見出して、半年くらいで探さなくても勝手にピントが合うようになってた。
それまで担当、というものがいる人生を10年くらい歩んでたけど、これが、担当ってことか、ってこの時初めてわかった気がする。

Jr.が立つ舞台の最前列よりも後ろは、日生劇場だけじゃなくて、他の劇場でも暗くて、他にも人が沢山いて、その中で自担を見つける経験が、「人ごみの中でも星を見る」だなー、と、なにものを初めて聞いた時からずっと思ってまして。
でも、そんな誕生日エントリのタイトルにするほどではなかったんですが、A.B.C-Zのサブスク解禁であの頃の思い出の曲たちを聴いていたら、ふと思い出してしまって。本当にちょうど10年前頃の話だなーって。
10年前、ちょうど就活をしていて、本当にお先真っ暗で、お金もなくて、就活しててバイトも全然できなくて、内定もなくて、そんな時の私を支えてくれたのは、紛れもなく春の演舞場であり、深澤辰哉さんだったなー、って。
10年後、まさかまだ演舞場の椅子に座って、最前列のセンターにいる深澤くんが見れるなんて、タイムマシンに乗って、10年前の私に言ったら、寝言は寝て言え、って、相手にしてもらえないだろーな!

しかし、本当に深澤くんの31歳の1年は色んなことが…あったねぇ……

31歳になってすぐ、ドームツアー。
念願のドーム公演、しかも4箇所も。
奇しくも、初めてのSnow Manクリエからほぼ10年後の日付で。Snow Manはこういう奇しくも、な展開が多いよね。神様が味方してるんだろーな。

冒頭に書いた「人ごみの中でも星を見る」だった10年前だけど、31歳の深澤くんは、ドームで一番星になってたね。私にとってはずっと一番星だったけど、私はこのInstagramの投稿の写真がとても好き。一番星のてっぺんの深澤くん。


あっという間にドームツアーは終わって、色んなことがあって、今までの当たり前が当たり前じゃなくなるのかも、って思った瞬間もあった。色んな覚悟*1を私もした。

本当になんか全てがぐちゃぐちゃ*2で、自分の感情も上手く整理できない日々が続いてすごい苦しかったんだけど、そんな中で深澤くんがすの日常*3を更新してくれて、

よーし❗️
今日もいつも通り頑張る😤

みんなもいつも通り
笑顔で1日1日を楽しんで、Snow Manに会えるのを楽しみにしてて〜👍

僕たちSnow Manも楽しみにしてる〜❗️

2023年10月3日すの日常より


この、「いつも通り頑張る」という言葉にすっごい救われたんだよね。いつも通り頑張ってくれるんだ、私たちもいつも通りでいいんだ、って。すごく肯定された気持ちになった。
そして、またいつか会うことを楽しみにして良いんだ!って。
直接的な表現ではないし、そういうことを直接言う人ではないのも、よーく知ってるから、この文章に込められた意図は、汲み取ったつもり。間違っているかもしれないけど。そういう人だから好きになったんだよね、って、改めて思った日。

その後すぐに、「今日からヒットマン」の出演が発表されて、10年ぶりの連続ドラマにびっくりして、10年前のドラマもリアルタイムで観ている自分にさらにびっくりしてw
久しぶりのテレビでのお芝居、しかもスピンオフの主演もあって、すごく充実した秋だったんじゃないかな
もっともっと、お芝居出来る機会が増えれば良いのに、と思った矢先、1月クールの「春になったら」が発表されて、2クール連続!?ってとってもびっくりしたな。10年空いてたのにその後のペースが早過ぎて、なんていうか、すごく自担の仕事だなー!って思ったw*4

年末のカウントダウンコンサートができない、ってなり出した時に、すぐに配信やります!っていの一番に声を上げたのはすのーまんだったね〜
まさか、無料の配信でこんなクォリティのものが見せてもらえるなんて、とびっくりするくらいのクォリティで、しっかりと考えてやってくれたんだな、って。
確かに毎年恒例の東京ドームに居れないのは悲しいけど、その悲しさなんて吹き飛ぶくらいのものを見せてくれて、楽しい年越しになった!
配信の挨拶で、泣きそうになって、詰まりそうになったのも印象的だったな
普段のカウントダウンコンサートじゃ見れない姿と経験ができた。できない、という状況になった云々はいまだに飲み込めてないし、飲み込むつもりもないけれど、良い副産物も沢山あったことは事実。

年が明けて、「春になったら」が始まって、あまりにも自然なお芝居と俳優さんたち、雰囲気の中にスッと違和感なく入り込んでいることに驚いてしまった
深澤くんって、こんなに自然、が似合う人なんだ
こんなにも普通、が上手く出来る人なんだ、って初めての気づきだったな。私は、ドラマや映画のお仕事はこういう自分が普段現場で見ていて気がつけないような部分を引き出してくれる素晴らしい機会だと思っていて、外部の人たちに、演出をされる自担を観れるということの幸せを噛み締めた
そして、こんな状況下においても、キャスティングがされていて*5現場の皆さんと交流が出来て、本当に良かったな、て思うのです。

そして、「祭GALA」が発表されて、深澤くんがまた春の演舞場に立ってくれる、という事実が嬉しすぎて浮かれていたな。またこうして舞台に立ってくれること、0→1で新しい作品を作ることに携わってくれること、そのやろうという気持ちがあるということが何よりも嬉しかった

記者会見で記者さんがSnow Manは忙しいのに、舞台をやろうというのはどこから来たんでしょうか?*6という質問に深澤くんはこう答えていて。

記者「そもそもの話聞いていいですか?やはりSnow Manはみんな忙しいじゃないですか。この3人での公演っていうのは、どういうところから来たんでしょうか?」

深澤くん「どういうところから来た……。」

記者「なぜなのかを教えてもらえれば」

深澤くん「なんか本当に、それぞれがやっぱそれぞれ今、色んなところで活躍......ね、まあ自分で言うのはなんか......(と首をかしげて照れながら小さい声に)それぞれがドラマだったりバラエティーだったりいろいろ活動する中で、僕たちやっぱり舞台ってなんか忘れられないよね、っていう話をしていたところに、お話が来て。やるという形になりましたね。」

2024.3.8 祭GALA記者会見レポート

この回答の「僕たちやっぱり舞台ってなんか忘れられないよね」というところに、私が深澤辰哉さんを丸11年も好きで良かったな、というところが全部詰まっていて。
と、同時に私もこの気持ち忘れてたな、劇場の椅子に座って、目の前の深澤くんに必死になる気持ち忘れてたな、沢山の供給に埋もれて、大事なことを忘れてないか?って、自問自答する良い機会にもなった。
ここで、自問自答ができたから、祭GALAを観る自分の姿勢はここ数年の演舞場通いの中でも一番しっかりと、背筋を正して、一回一回を噛み締める事ができた。いつだって、気づきを与えてくれるのはタレントだし、自担なんだよな〜

春になって、祭GALAが始まって。
去年、あんなに大泣きして、滝沢歌舞伎にさよならを告げたのに、今年はケロッとした顔をして、演舞場にいる自分って現金なやつだな〜と思ったけどw
また春に演舞場で見る深澤くんは、格別で、去年よりもすっごく成長していて、まだ伸び代あるんか!?って驚いた。
本編の演舞が終わって、暗転して、幕が下りて、その間のナレーションで、「僕たちの原点はここ新橋演舞場」という言葉を聞いてから、「風」で、幕が上がって、深澤くんが0番に立っているのを初日に見た時、なんか、言葉に上手くできないけど、この人はステージの上が一番似合う、ってふっと、思ったんだよなあ。ステージの大きい小さいはあるけれど、深澤くんは、新橋演舞場の0番が特別似合う。こんなに似合うと思ってなかったけど、立ち姿が、誰かに似ていて、なんだか、上手く言葉に出来なくなっちゃったよ。

そして、初めてのオリジナルのソロが見れたのも今年。しかも、新橋演舞場で見れるなんて。

ここまでは遠かった
勇気を無くしかけた
ゴールの見えない日々、続いて

焦るほど進めずに
もがくほど空回り
でも諦めることはそう選ばなかったんだ

「あの日の少年」より

この歌詞を、新橋演舞場で歌うことの意味や、まだまだこれからのJr.のみんなをバックにつけて歌う意味、色んなことを考えて、胸がいっぱいになったし、千穐楽はそれまで我慢してたのに、結局気がついたら泣いていてw
深澤くんが、「諦めることはそう選ばなかったんだ」をしてくれたから私は今日もここに座っている事が出来るよ、ありがとう、ってずーっと心の中で思ってて。

この、"選ばなかったんだ"と言う言葉に、深澤辰哉さん、そして、Snow Manらしさ、が出てるんだよね。
諦めないぞ!!!!じゃなくて、諦めないことを、選ばなかった、という。今のSnow Manは、事あるごとにぶちかます*7!とか言ってるし、そんなイメージはないのかもしれないけど新橋演舞場でずーっと前に進めないのを繰り返してた時のSnow Manって、まさに諦めないことを選んでいるだけ、だったなー

諦めないことを選んでいるだけだったSnow Man、そして深澤くんだけど、そんな深澤くんが、最後に

いくら失敗したってその数だけの挑戦
やれるんだ
まだまだやれるんだ

「あの日の少年」より

という歌詞でぎゅっと拳を握りしめるのが、本当に嬉しくて。まだまだやれると思ってくれていることが何よりも嬉しくて、私もまだまだやるぜぃ*8!ってなっちゃったなー。毎回ソロ終わり誰よりも早く拍手してたし、そこでスタオベしたかったくらい、大好きな時間でした。

千穐楽の挨拶で「なんだ俺まだまだ動けるじゃん!ってなりました!!!!!」って自信満々にドヤ顔で言ってたけど、本当にまだまだ動けるし、これからも生涯現役でステージで踊ったりアクロしたりしているところが見ていたいから、無理はせず、まだまだ動ける、の限界を攻めていって欲しい。深澤くんはね、追い込まれれば追い込まれるほど、ステージで美しく輝く人だよ。
限界まで何度も挑戦した人にしか出せない美しさをあなたは持っているんだよ〜って、昔からずっと言っているけど、32歳になる直前の今、改めて痛感。

そんな感じで、深澤くんの31歳は色んなことが本当にあったね。素敵な人たちとの出会い、そして交流も。全部書いたら書ききれないからさ、まとめちゃうけど、たくさんのファンが深澤くんのことを好きなのも、共演した人たちがみんな舞台を見に来てくれたりするのも、先輩後輩問わずみんな深澤くんのことが大好きで、そんな素敵な人になれたのは、32年間の本人の色んな経験、想いの賜物なんだろうね。
おたくは、好きな人の誕生日にご両親に感謝しがちだけど、深澤くんのご両親も、よく名前が出るお祖父様も、本当にありがとうございます!wこんな素敵なよそのお家の息子さんに出会えて幸せです。
改めて、アイドルのファンをするということは、どこかのお家のお子さんの人生を消費していくこと、だと思うのだけど、私にとっては消費というよりも、自分も同い年だからこそずっと並走しているイメージ。
それは、デビューしても、30代になっても変わらなくて。これからもずっと深澤くんがステージから降りるまで、もしくは、降りたとしても、何歳になっても並走していきたいな。地獄の底までついていくからね!!!わら

改めて、32歳本当におめでとう。
綺麗な弧は描けない、そんな深澤くんだけど、これからもずっとずーっとまだまだやれるんだ、の気持ちで頑張って欲しいです。私も頑張ります!

笑顔の多い1年になりますように!大好き!!

*1:有吉の夏休みが諸々で飛んだらどーしよう、はずっと頭の中にあって、もし飛んでたら丑の刻参りして呪っちゃってたと思う❗️わら

*2:この一番ぐちゃぐちゃな時に渡辺担に誘ってもらってドリボを見て、いつだって真実はステージの上にしかないって思ったし、本当に勇気をもらった。渡辺くんのネクドリで泣いてしまったよ。

*3:ちなみにこれヒットマンの情報解禁まであと少しってもうバレてて、けど全然すの日更新しないから大手垢()が更新しろって騒いで結局尻切れトンボみたいな中途半端な匂わせ更新になったのまあまあいやだった爆

*4:なんか深澤担をやっているとこういう瞬間最大風速が突き抜ける時があるw

*5:実際は夏前とかに動いてたブッキングだと思うので、そこはなんともだけど

*6:今思ってもこの質問Snow Manの真髄わかって無さすぎて腹立つなw

*7:目黒がWE AREの時にみっちーにもかますぞ!って言った話好きすぎる

*8:京様慎ちゃんの都バスで飛ばすぜぃ!のイメージです